淡路島磐座ツアー

 Report 2013.3.24 平津 豊 Hiratsu Yutaka  
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2013年3月9日、イワクラ(磐座)学会の淡路島イワクラツアーに参加し、淡路島の磐座(イワクラ)を周った。


1.伊弉諾神宮(12時30分)

最初は、淡路国一の宮である伊弉諾神宮(イザナギジングウ)を参拝し、淡路国の磐座を参拝させていただく許可をいただくと共に、旅の安全をお願いした。

延喜式神名帳に淡路国多賀村に所在する伊佐奈伎神社と記載されている神社である。現在の兵庫県淡路市多賀740である。(北緯34度27分36.27秒、東経134度51分8.85秒)
この地に、伊弉諾大神が隠居した「幽宮(カクリノミヤ)」があり、その跡に御陵が造られ、その御陵の前に本殿を建てて祀っていたが、明治に御陵の上に本殿を設けたということである。
伊弉諾神宮の詳細は以前のレポートを参照してほしい。
レポート「オノゴロ島と国生み神話」

この伊弉諾神宮には、磐座と関係の深い「ひのわかみやと陽のみちしるべ」という石碑がある。
伊弉諾神宮の所在地(34度27分23秒)は、伊弉諾大神が住まわれていた宮殿後でもあり、日本書紀によると、その宮殿は日之少宮(ヒノワカミヤ)と呼ばれていた。これは、この伊弉諾神宮と同緯度にある、日の神である天照大神(アマテラスオオカミ)を祀る伊勢神宮と対を成すものであると説明されている。
今回の探索は、このようなレイラインの話が中心になる。
【淡路島 伊弉諾神宮】Photograph 2013.3.9

【伊弉諾神宮の陽のみちしみべ】Photograph 2012.12.12



2.岩上神社 神籬岩(13時10分)

最初の磐座は、淡路市柳澤乙の岩上神社(北緯34度26分25.01秒、東経134度50分30.67秒)の神籬岩(ヒモロギイワ)である。
岩上神社の本殿は県指定文化財に指定されている彩色が施された豪華な社殿である。
この一間社隅木入春日造の本殿は、1541年に奈良県三郷町龍田神社の旧社殿を移したものと伝えられている。
境内看板には以下のような説明がある。

神社の創立は、社伝によると天文10辛丑年(1541)柳沢城主柳沢隼人佐直孝が、大和国石上神宮の分霊を迎え祭祀したのに始まるといい、同神宮旧蔵と伝える「応安三年(1370)」銘の鰐口を伝来している。社殿は布石積の基壇上に建ち、本殿の正面は格子戸、引き違い建、三法に高欄付の縁があり、両側面に脇障子を立てる。浜床、浜縁をさなえた正規の造りである。斗きょう(屋根のすぐ下)は「あま組」四手先、「おだるき」(長く突きでる)は、象鼻のように長く、その先が「ア」・「ン」になっている。組みものの形式、その作りに室町時代建築の特徴を伝えているといわれる。平成7年 兵庫県教育委員会


石上神宮の分霊ということなので「布都御魂大神、布留御魂大神、布都斯魂大神」ということになる。神籬岩を有する神社の御祭神としてはふさわしい気がする。
もちろん、神籬岩の信仰は、神社創立よりもはるか昔に遡ることは言うまでもない。

【淡路島 岩上神社 拝殿】Photograph 2013.3.9

【淡路島 岩上神社 本殿】Photograph 2013.3.9

「ひもろぎのお岩さま」とも呼ばれる神籬岩(ヒモロギイワ)は、岩上神社の本殿の西の丘の上に建てられた高さ12メートル、周囲16メートルの巨石で、周りにも数個の巨石が配されている。
岩上神社の本殿から見上げると、神々しい姿をしており、古代人が神の降臨を感じたとしても不思議はない。
さらに、神籬岩が建っている丘の頂上、神籬岩の南に太陽石と思われる石が埋まっている。

境内には、罔象女神(ミヅハノメノカミ)をご祭神とする水神社が祀られている。これは、昭和60年に奈良県吉野郡東吉野村小鎮座の丹生川上神社(ニウミカワカミジンジャ)を分霊したものである。
さらに、境内には、神仏習合の名残として法輪山岩神寺もある。
【淡路島 岩上神社 神籬岩 東側から撮影】Photograph 2013.3.9

【淡路島 岩上神社 神籬岩 北側から撮影】Photograph 2013.3.9

【淡路島 岩上神社 神籬岩 南側から撮影】Photograph 2013.3.9

【淡路島 岩上神社 神籬岩 西側から撮影】Photograph 2013.3.9

【淡路島 岩上神社 神籬岩 北側の直ぐ傍から撮影】Photograph 2013.3.9

 
【淡路島 岩上神社 神籬岩 北側の土台部分に倒壊防止のために積まれた石】Photograph 2013.3.9

【淡路島 岩上神社 神籬岩の西丘の頂上の太陽石】Photograph 2013.3.9

【淡路島 岩上神社 神籬岩の西丘の頂上の小さな太陽石】Photograph 2013.3.9

【淡路島 岩上神社 境内の水神社】Photograph 2013.3.9



3.夫婦岩(14時0分)

次の磐座は、淡路市柳澤戊(北緯34度26分50.521秒、東経134度49分41.924秒)の夫婦岩である。
高さ5メートル、周囲17メートルの磐座で、2つの巨石が重なり合っている。上の石が男性を表し、重みに耐えている下の石が女性を表しており、夫婦円満を生み出すといわれている。直ぐそばには、江戸時代にこの石の祟りを鎮めるために祀られた荒神の祠がある。現在も地元の人に信仰されているようである。

看板には次のような説明がある。

神岩 高さ約5米
遠く約450年前から地元の人に信仰され 荒神講(16戸)が中心となり現在も祭祀を司っている。
当日は講人相計り早朝暁暗に参詣し祈願を行なっている。
神岩は高さ5間許二石相累るは夫婦の媾合をあらわすといわれている。
また岩全体としては岩上神社の神石に相似たりと伝えられている。
柳沢夫婦岩荒神奉讃会


【淡路島 夫婦岩 と 荒神の祠】Photograph 2013.3.9

【淡路島 夫婦岩 南側から撮影】Photograph 2013.3.9

【淡路島 夫婦岩 北側から撮影】Photograph 2013.3.9



4.山王神社 舟形岩と磐座 (14時40分)

次の磐座は、淡路市高山甲(北緯34度26分35.848秒、東経134度49分0.137秒)の山王山の磐座である。
山王山の頂上に山王神社と愛宕神社が合祀された小さな社と拝殿がある。御祭神については良くわからないが、洲本市納字山大に同名の山王神社があり、この御祭神は大山咋命であるので、山王山の山王神社も大山咋命である可能性が高い。
社殿は、東西方向に建てられ西方を参拝することになる(東面)。

【淡路島 山王神社 拝殿】Photograph 2013.3.9

【淡路島 山王神社 本殿】Photograph 2013.3.9

拝殿の直ぐ南横に舟形岩と呼ばれる岩がある。北側から見ると舟の形をしているが、南から見ると男根である。舟形岩は東西に横たわり、その先は東を向いている。また舟形岩の直ぐ南には、2つに割られた岩がある。武部正俊氏によると、これが女陰ではないかということだ。割れ目の方向も東西方向となっている。

【淡路島 山王神社 舟形岩 北東側から撮影】Photograph 2013.3.9

【淡路島 山王神社 舟形岩 南側から撮影 】Photograph 2013.3.9
舟というより、男根を模った男根岩と考えられる。

 
【淡路島 山王神社 舟形岩 東側の下から撮影 】Photograph 2013.3.9
そそり立つ男根に見える。

【淡路島 山王神社 女陰岩 東側から撮影 】Photograph 2013.3.9
舟形岩の南隣の岩、東西に割れ目があり女陰岩と考えられる。

この男女の陰陽石の南東側には、巨石群が広がっている。
2メートルから3メートルの巨石がピラミッドを形成しているようだが、崩壊してしまっている。

【淡路島 山王神社 南東の磐座 東側から撮影】Photograph 2013.3.9

【淡路島 山王神社 南東の磐座 北側から撮影】Photograph 2013.3.9

【淡路島 山王神社 三角形の磐座】Photograph 2013.3.9

【淡路島 山王神社 階段状の磐座】Photograph 2013.3.9



5.俵石(15時20分)

次の磐座は、淡路市高山甲の俵石である(北緯34度26分9.73秒、東経134度48分49.91秒)。
予定にはなかったのだが、急遽リクエストで立ち寄ることとなった。
道が崩落して通行止めであったので、遠くから観察しただけであるが顔のように見える巨石である。

【淡路島 俵石】Photograph 2013.3.9



6.恵日寺行者堂 ゆるぎ石(16時0分)

次の磐座は、淡路市木曽下の恵日寺の奥の院行者堂のゆるぎ石である。恵日寺の西側の道を200メートルほど登ると出迎え不動という名の巨石がある。この石の下はくぐることができる。

【淡路島 恵日寺行者堂 出迎え不動】Photograph 2013.3.9


さらに100メートルほど登ると行者堂に着く。お堂の西側にゆるぎ石と不動石がある(北緯34度25分42.2.48秒、東経134度50分45.214秒)。
ゆるぎ石は、手で押すと大きく動くまさしく"ゆるぎ"石である。この西側には行者のような像が彫られている。
ゆるぎ石の台座は複雑に石を組み合わせてある。
この行者堂は小角嶽鬼山行者堂といい、明治16年に大峯山から神変大菩薩を勧請したものであり、歴史は新しい。
ゆるぎ石や不動石は、行者堂が建てられるはるか昔からこの山頂に存在していたものであろう。

【淡路島 恵日寺行者堂】Photograph 2013.3.9

【淡路島 恵日寺行者堂 不動石】Photograph 2013.3.9

【淡路島 恵日寺行者堂 ゆるぎ石】Photograph 2013.3.9

【淡路島 恵日寺行者堂 ゆるぎ石 西側から撮影】Photograph 2013.3.9
ゆるぎ石の反対側には、行者の姿が彫られている。

【淡路島 恵日寺行者堂 ゆるぎ石 西側下から撮影】Photograph 2013.3.9
ゆるぎ石の台座岩は、下の石組みで支えられている。



7.伊勢久留麻神社(17時0分)

1日目の最後は、淡路市久留麻にある伊勢久留麻神社である(北緯34度31分27.783秒、東経134度59分19.37秒)。
境内の石碑には次のように書かれている。

伊勢久留麻神社は、遠く伊勢ノ国久留真より勧請せるものと言われ祭神は大日[雨+□3つ+女]貴尊と称され敏達天皇の頃(572〜585)と言われ、延喜式(927年完成)には淡路十三社の三番目に明記されている その為淡路イザナギ神宮を一の宮とし この神社は三の宮とも言う。
昭和55年2月11日 建国の日にNHKテレビが特別番組として「知られざる古代〜謎の北緯34度32分を行く」で西のお伊勢さんとして紹介したので俄然全国的にも有名となったものである。 平成3年4月吉日


延喜式の三番目に記されていると書いてあるが、延喜式において伊勢久留麻神社は二番目である。

太陽の道に関係する神社の御祭神が天照大神の別名と云われるオオヒルメであるのは、納得いくものである。しかし、「久留麻(クルマ)」とは何を意味する言葉なのであろうか。

【淡路島 伊勢久留麻神社 拝殿】Photograph 2013.3.9

【淡路島 伊勢久留麻神社 本殿】Photograph 2013.3.9

写真家の小川光三氏は、『知られざる古代太陽の道 大和の原像』(1973年)で古代祭祀跡が北緯34度32分のライン上に並ぶという「太陽の道」説を発表し、水谷慶一氏がNHKのテレビ番組『謎の北緯34度32分をゆく-知られざる古代』(1980年)でこの小川説を再編集して放送したことで有名になった。
北緯34度32分は、春分・秋分の日における日の出と日の入りを結んだ線のことだという。

写真家の小川光三氏の太陽の道は、伊勢斎宮、天満社裏山遺跡、春日宮天皇妃陵、天神山山頂、巻向山山頂南方台地、桧原神社、国津神社、箸墓、須賀神社、菅原神社、日大御神社、稲荷社、穴虫峠、伊勢の森が北緯34度32分の線で一直線に並ぶというものである。この小川氏の太陽の道は、北緯34度30分27秒に位置する淡路の伊勢の森を除いて北緯34度32分18±4秒に収まっている。

元NHKディレクターの水谷慶一氏の太陽の道は、伊勢斎宮遺跡、堀坂山、三坪山、蔵王堂、倶留尊仏、室生寺、長峰天満社裏山遺跡、春日宮天皇妃陵、長谷寺、三輪山、桧原神社、国津神社、箸墓、須賀神社、菅原神社、日大御社、稲荷社、萩原天神、大鳥大社、伊勢久留麻神社、石上神社が北緯34度32分の線で一直線に並ぶというものである。この水谷氏の太陽の道は淡路の伊勢の森を除いて北緯34度32分16±8秒となり、かなり幅が広い。

そして、この太陽の道に、一直線と言えない伊勢の森を無理やり入れているのは、三重県の伊勢で始まり淡路の伊勢の森で終わるのが美しいという理由だろう。

淡路の伊勢の森とは淡路市久野々の常隆寺の近くの森(北緯34度30分27.17秒、東経134度55分22.60秒)を指すが、太陽の道の中心線より2分以上離れている。2分離れれば、同一線上とは言えないであろう。また、伊勢久留麻神社(北緯34度31分27.783秒、東経134度59分19.37秒)のあたりも伊勢の森といわれるらしいので、ここであるとしても、1分以上離れている。1分違えば1キロメートル以上離れていることになってしまい、同一線上とは言えるかどうかは微妙である。

太陽の道が太陽信仰に基づくものであるとすると、太陽神である天照大御神を祀る伊勢神宮と関係のある場所を太陽の道が結んでいるという説には無理はない。
特に、この中で、伊勢斎宮遺跡・竹神社(北緯34度32分14.04秒、東経136度37分7.54秒)と箸墓(北緯34度32分21.25秒、東経135度50分28.69秒)がほぼ同緯度にあるというのは、着目すべき事柄であり、倭姫(ヤマトヒメ)と倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)という倭の有名な二人の姫の遺跡が同緯度に存在するのは偶然にしてはできすぎている。
また、伊勢斎宮遺跡がなぜ伊勢神宮の内宮から15キロメートルも離れているのかは理解しにくい事柄である。内宮に奉仕する斎宮は、内宮にもっと近くあるべきである。しかし、斎宮が箸墓の緯度を考慮して建てられたものであれば納得がいく。



8.舟木石上神社の磐座(8時40分)

2日目の最初の磐座は、淡路市舟木にある石上神社である(北緯34度32分28.063秒、東経134度57分6.142秒)。

看板には次のように説明されている。

舟木石神座と女人禁制
★日の神の信仰
北緯34度32分の線上 伊勢、神島、堀坂山、倶留尊(三重県)→室生寺、長谷寺、三輪山、二上山(奈良県)→日置荘、大島神社(大阪府)→伊勢久留麻神社、当石神神座(淡路島)の各地で古くから日の神信仰していたことが明らかになった。(昭和55年2月NHKテレビ放映)

★祭
もともと日の神は、太陽神の本体として天照皇大神と大日如来が想定され所によってそのどちらかを祭っている地もあり、両者を合祭している所もある この石神座は両者を勧請して祭ったものである。

★日を迎える座と日を追う座
これら太陽を信仰する地に「日を迎える座」(朝日に向って祭事を行なう)と「日を追う座」(夕日に向って祭事を行なう)とがある そのうち前者は男性が祭事をつかさどり後者は女性が祭事をつかさどってきた したがって女人禁制はここからきたものである 現在この制度がくずれているなかで当社は今なお里人の間で固く守られ、民族学上からも貴重な存在である。

この看板の「大島神社」は「大鳥神社」の間違いであろう。

地名の「舟木」からこの磐座は古代氏族である舟木氏の祭祀施設と考えられている。舟木氏は、伊勢国多気郡の延喜式内社の佐那神社を拠点として造船を行なった氏族で、『「住吉大社神代記』に「大八嶋国の天の下に日神を出し奉るは船木の遠祖、大田田神なり」と記載されていることから多氏の同族と見られている。
また、『古事記』に「手力男の神は、佐那那県にいますぞ」と書かれていることから舟木氏の佐那神社の御祭神は、岩戸開きを行なった手力男命であり、太陽と関係が深い。
さらに、伊勢を本拠地としていた舟木氏が居たとすると、この近くを伊勢の森と呼んでいたことも理解できる。
小川光三氏の太陽の道が存在するとした場合、淡路島の通過ポイントは、伊勢久留麻神社よりも、この舟木石上神社の方がふさわしい。


女人禁制の石碑のある鳥居を抜けて参道を行くと正面に祠と神石が見えてくる。神石の下は空洞になっていて、そこに祠が祀られている。祠は北に向って参るようになっている(南面)。
御祭神は素盞嗚尊、女性は少し東に離れた稲荷社からこの神石を参拝する慣わしのようだ。


【淡路島 舟木石上神社と神石】Photograph 2013.3.10

【淡路島 舟木石上神社】Photograph 2013.3.10
神石の下は空洞になっていて、そこに小さい社が置かれている。
 
 神石の北側から西側の斜面に1〜2メートルの石が点々と神石を取り囲むように円形に並んでいて何重ものストーンサークルを形成しているようである。

北側にはドルメン上になった石組があり、中心部分には小さな三角形の石を祀っている。

【淡路島 舟木石上神社 磐座の頂上部から北西側を撮影】Photograph 2013.3.10
神石を取り囲むように石が並べられてある。

 
【淡路島 舟木石上神社 磐座】Photograph 2013.3.10

【淡路島 舟木石上神社 ドルメン状の岩】Photograph 2013.3.10

【淡路島 舟木石上神社 磐座】Photograph 2013.3.10
 磐座の中心部では、三角の小さな石を祀っている。
【淡路島 舟木石上神社 磐座】Photograph 2013.3.10

【淡路島 舟木石上神社 磐座 南西側から撮影】Photograph 2013.3.10



この磐座であるが西側から望むと異なった風景が見えてくる。
まず、二つの石を三角に合わせた特徴のある組み石がある。女陰である。その直ぐ南側に石が横たわっているが、武部正俊氏は、この石が本来は立っていて、男根を表していたのではないかと推察している。この女陰のさらに西に3つの石を組み合わせた列石がある。またその横には2つの石を組み合わせた方位石と思われる石もある。この2つの石によって形成される線は東西を向いている。これらのことを考え合わせると、本来この磐座は、この方位石から拝していたのではないかと思える。
方位石の横の列石を祭壇として供え物をし、方位石から東を向けば左手に女陰、右手に男根がそびえ、その間から太陽が昇ってくる。「日を迎える座」としてはこの参拝の仕方がもっとも相応しい。

この磐座は、今なお古代祭祀が執り行われているようで、まさに生きている磐座であるが、阪神大震災で動いた野島断層の直ぐそばであり、これらの磐座、特に周辺のストーンサークルに影響がでなかったのか気になるところである。
 
【淡路島 舟木石上神社 女陰岩 西側から撮影】Photograph 2013.3.10
 二枚の石板を三角に合わせ、その中に小石が置いてある。女陰を模った女陰岩と考えられる。

【淡路島 舟木石上神社 男根岩 西側から撮影】Photograph 2013.3.10
 男根を模った男根岩と考えられる。本来、この岩は立っていたのではないか。

【淡路島 舟木石上神社 祭壇石 西側から撮影】Photograph 2013.3.10
この石の上に供物を載せたと考えられる。

【淡路島 舟木石上神社 方位石 西側から撮影】Photograph 2013.3.10
二つの石によって形作られる線は東西を向いている。
この方向(西から東)から拝すると、女陰岩と男根岩の間に太陽が昇ることになる。



9.東山寺奥の院の磐座(9時40分)

次の磐座は、淡路市長澤の東山寺奥の院である(北緯34度28分49.196秒、東経134度53分6.937秒)。
東山寺から北へ400メートルほど歩くと奥の院の磐座に着く。この磐座は、放置され、かずらが岩を覆い隠している。
この磐座も巨大なもので舟木石上と同じように周りを石が何重にも囲んでいるようである。
頂上にある中心石は北を向いているように思える。
また、この南側に珍しい石組みがある。ひし形の石を石と石の間に挟んで浮かしているのである。これは女陰で、その北側には男根と思われる天に突き出た三角の石もある。舟木石上と比べると、洗練されたデザインであり、また東西を基軸にしていた舟木石上に対し、この磐座は南北を基軸にしているようである。舟木氏とは別の氏族が造ったのではないかと思える。
【淡路島 東山寺奥の院 磐座への道】Photograph 2013.3.10

【淡路島 東山寺奥の院 磐座の前の祠】Photograph 2013.3.10

【淡路島 東山寺奥の院 磐座の中心岩 北側から撮影】Photograph 2013.3.10

【淡路島 東山寺奥の院 磐座 割った跡の残る岩】Photograph 2013.3.10

【淡路島 東山寺奥の院 磐座の中心岩の北側から撮影】Photograph 2013.3.10

 
【淡路島 東山寺奥の院 磐座の東側からさ杖伊】Photograph 2013.3.10
2つの石が形成する方向が東西を向いた方位石とも考えられるが、少し小さい。

【淡路島 東山寺奥の院 磐座 西側から撮影】Photograph 2013.3.10

【淡路島 東山寺奥の院 女陰岩 南側から撮影】Photograph 2013.3.10
 ひし形の岩が巨石の間に挟んで浮かしている。女陰を模った女陰岩と考えられる。

【淡路島 東山寺奥の院 男根岩 南側から撮影】Photograph 2013.3.10
頂上の三角錐を合わせた形の岩は、男根を模った岩と考えられる。



10.雨乞山の磐座(11時0分)
次の磐座は、淡路市生穂の雨乞い山である(北緯34度27分34.124秒、東経134度55分13.126秒)。

磐座に対して南から道が続いており、磐座の東側を周って頂上に出る。頂上は小さな広場になっており、絶景が望める。

山の頂上にある看板には次のような説明がある。

淡路八景 雨乞山公園
昔から水不足に悩まされた淡路島、江戸時代の明和(1766年)から天明年間(1784年)にかけての大飢饉は、淡路島にも大きな被害をもたらし、当時島内各地で盛んに雨乞祈願が行なわれていました。往時この山の頂に水の神様の「貴船」の神と、火の神様の「愛宕」の神を祀って雨乞祈願をしたところ大雨が降ったので雨乞山と名付けたのがこの山の名の起こりとされています。
干ばつの年にはこの山頂で松薪を焚き、地元生穂の里人が交代で数日間山に篭り、蓑笠の雨具をつけて「大雨たんもれ、じんぐいな、天に大雨ないかいな・・・」と唱えながら、鉦と太鼓を打ち鳴らし祈願を続けたといいます。
雨乞山は海抜159.4米で、古くから「淡路八景」のひとつとして知られており頂上からは大阪湾を広く望み、また郷土津名が一望出来る景勝の地です。この頂上には、御社岩、焚火岩、龍越の岩、覗岩等の自然の巨岩が神秘的な姿で磐座として信仰されています。
雨乞山保勝会

この磐座は巨大な岩が何重にも縦に積み重なって形成されており、ほとんど自然石であるが、一部、人工的な組み石も存在している。

雨乞祈願を行なった江戸時代よりもはるか昔から信仰されていたと考えられる。

案内していただいた飯田勉氏から、龍越の岩、覗岩と思われる岩を教えていただいた。

【淡路島 雨乞山の磐座への道】Photograph 2013.3.10

【淡路島 雨乞山の磐座】Photograph 2013.3.10

【淡路島 雨乞山の磐座】Photograph 2013.3.10

【淡路島 雨乞山の磐座 】Photograph 2013.3.10
複雑に組み合わされた石組み。

【淡路島 雨乞山 磐座頂上部 北側から撮影】Photograph 2013.3.10
この間を抜ければ、雨乞山頂上に出る。

【淡路島 雨乞山頂上の西側の磐座】Photograph 2013.3.10

【淡路島 雨乞山頂上 火の神の祠】Photograph 2013.3.10

【淡路島 雨乞山 頂上から南を望む 】Photograph 2013.3.10
 太陽石のような石もある

【淡路島 雨乞山の磐座 覗岩】Photograph 2013.3.10
 ここから磐座の中心が下に望めたようである。

【淡路島 雨乞山の磐座 焚火岩】Photograph 2013.3.10
大岩は東西を向いている。火を焚いた痕跡も認められる。

【淡路島 雨乞山の磐座 龍越の岩】Photograph 2013.3.10
龍の顔のように見える。



11.松尾神社(12時0分)

次の磐座は、淡路市下司の松尾神社である(北緯34度24分52.817秒、東経134度52分55.418秒)。

先ほどの雨乞山への参拝が効いたらしく雨が降ってきた。

巨石の上に本殿のような社が建っている珍しい神社である。ただ、参拝する場所の前は空洞になっており、その中に小さな祠が収めてある。どうもこれがご本殿のようである。
社殿横の沢には上から崩れ落ちてきた石で埋まっており、この神社の巨石も山から落ちてきたものと考えられる。
【淡路島 松尾神社 拝殿】Photograph 2013.3.10

【淡路島 松尾神社 本殿】Photograph 2013.3.10
岩の空洞の中に祠が置いてある。

【淡路島 松尾神社 西側から撮影】Photograph 2013.3.10

【淡路島 松尾神社 東側から撮影】Photograph 2013.3.10

【淡路島 松尾神社 北東側の沢】Photograph 2013.3.10



12.八王子神社(13時45分)

次の磐座は、洲本市小路谷の八王子神社である(北緯34度20分18.144秒、東経134度54分12.149秒)。

三熊山の山頂に築かれた洲本城の北東に八王子神社がある。
大永6年(1526)に安宅隠岐守治興が洲本城を築城のときに勧請した神社で蛇の神を祀っているとされ、洲本城の鎮守である。
ただし、八王子という名前は、普通は牛頭天王の8人の王子を意味する。

鳥居から下る道の西壁には十二支神社の小さな祠と鳥居が並んでいる。
【淡路島 八王子神社 十二支神社】Photograph 2013.3.10

北へ100メートルほど下ると、巨大な石がある。
巨石を背中に小さな祠がある。
昔は藤山寛美が寄進した芸の神様が祭られていたようであるが、今は石造りの真新しい祠が建っている。そばに芝右エ門神社(シバエモンジンジャ)という文字が書かれた板があったので、この祠のことであろうか。芝右エ門とは三熊山の頂上に住む化け狸のことである。
【淡路島 八王子神社 】Photograph 2013.3.10
 
その奥にもう少し大きな祠があり、この祠の後ろの石は洞窟になっており背面に貫通している。
この神社は、東西方向に建てられ西方を参拝することになる(東面)。

このあたりの石は円礫岩である。川などで丸石となった石がさらに堆積したもので、形成されるのに相当な年月が必要であり、古い地層と考えられる。
【淡路島 八王子神社 】Photograph 2013.3.10

 
【淡路島 八王子神社 】Photograph 2013.3.10
 巨大な岩の空洞の中に祠が置いてある。この空洞は後ろに抜けている。

【淡路島 八王子神社 磐座】Photograph 2013.3.10

 
【淡路島 八王子神社 磐座】Photograph 2013.3.10

【淡路島 八王子神社 磐座】Photograph 2013.3.10
 また、洲本城の北側にも巨大な磐座がそびえていた。

【淡路島 洲本城の北側の磐座】Photograph 2013.3.10



13.岩戸神社(14時50分)

最後の磐座は、洲本市上内膳の先山千光寺の南にある岩戸神社である(北緯34度21分22.336秒、東経134度50分19.517秒)。

淡路島の中部にある4481メートルの先山は、イザナギ・イザナミが国生みを行なったときに、最初にできた山であるとのことから先山と名付けられたとの言い伝えがある。
また、三つの峰があるので日本書紀の時代は三神山と呼ばれていたらしい。

千光寺の南側の道を東に150メートルほど行くと三叉路がありこれを南に折れ、下り道を南西に100メートルほど降りていくと巨大な磐座が立っている。
高さは8メートルほどもある巨大な磐座である。
この磐座は山の頂上ではなく、標高400メートルの所に鎮座しているが、先山の頂上からの眺めは洲本八景に数えられ、大阪湾や四国まで望むことが出来るという。現在は木が生い茂って視界は開けていないが、古には、この巨大な磐座は、海上から見えた可能性がある。東海岸から3キロメートル、西海岸からは5キロメートルほどである。両海岸から見えていた可能性すらある。淡路島は船でないと渡れないのであるから、海族が船で淡路島に近づいたときに同族が上陸していることを知らせる海の道標(シーマーク)だったのではないかと考えられる。
【淡路島 岩戸神社 南西側から撮影】Photograph 2013.3.10

【淡路島 岩戸神社 南側から撮影】Photograph 2013.3.10

【淡路島 岩戸神社 西側から撮影】Photograph 2013.3.10

【淡路島 岩戸神社の南西の谷に崩れている岩群】Photograph 2013.3.10



これで2日間の日程が終了した。

ほとんどの磐座に男根と女陰を表す陰陽岩が配されていた。また、太陽の道に象徴されるように、日の出と日の入りの東西ラインを基軸として構築され、太陽信仰が基になっている磐座も多かった。夕方に太陽が赤く染まって西に沈み、翌朝、東からまぶしい朝日が昇ってくる様子は、まさに死と再生であり、これに生産と豊穣の象徴である陰陽岩が配されているのも意味深い。

さらに、このように東西線を中心に構築された磐座とは別に、南北線を中心に構築された磐座もあることも認識できた。

今回のツアーでは、13箇所もの磐座や神社を訪ねることができた。一人ではとても行けそうもないところを案内してもらっただけでなく、その場での解釈論議や突然始まる先輩方の講義など、大満足のツアーであった。

イワクラ学会の方々とは、三ノ宮の駅前で再会を約束して散会した。


2013年3月24日  「淡路島磐座ツアー」 レポート 平津豊
イワクラ(磐座)学会 会報28号 2013年8月6日発行  掲載