皆神山ピラミッド

  Report 2012.8.17 平津 豊 Hiratsu Yutaka
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長野県松代の皆神山を目指して、兵庫県から車を走らせたが、途中事故渋滞に巻き込まれ、10時間もかかってしまった。
皆神山は、SF小説やアニメの舞台となったり、UFOの目撃とか多い場所でパワースポットとして有名である。
この皆神山は、30万年前に形成された安山岩の溶岩ドームで、頂上が陥没したような独特の形状をしている。他の山とは切り離された独立山であることも特徴である。
1965年8月から5年半の間、この山を中心に地震が70万回以上も発生し、1メートル隆起した。この松代群発地震の震源は、皆神山の地下3〜5キロメートルともされ、なぜ火山でない皆神山が震源になったのか解明はできていない。
また、通産省の地質調査では、皆神山に低重力域があることがわかっており、このことから皆神山の中には800×1500×高さ200メートルの空洞があるのではないかと推測されている。
さらに、UFOの目撃多発地だけでなく、しばしば怪光現象も観測され、1966年には2分間にわたって山が発光したという。ぞくぞくする異常な場所である。
【皆神山参道入り口】Photograph 2012.8.11
長野インターから35号線を通って、3キロメートルほどで、皆神山の麓にある『皆神神社ピラミッド参道入口』と書かれた案内板に着いた。車で皆神神社まで登れるとの情報なのだが、登山道はとても車では無理なので、300メートルほど東の道から登り始める。しばらくいくと右手に岩戸神社と書かれた看板を見つけた。岩で囲まれた石室のようになっている。奥は3つの岩で塞がれているのであるが、さらにその向こうにも空洞が続いていてピラミッドの入り口になっているのではないかといわれている場所である。御祭神は天照皇大神となっており、上に小さいコンクリート製の祠が2つある。
【岩戸神社への参道】Photograph 2012.8.11
【岩戸神社】Photograph 2012.8.11
【岩戸神社の上にある祠】Photograph 2012.8.11
内部の写真を撮ろうとフラッシュを用意していると急に雨が降ってきた。傘をさした状態で内部の写真を撮ろうとするが、シャッターがなぜか切れない、やっと切れても画面が何かに遮られてなかなかうまく撮れていない。後で確認すると、紐状の何かが写りこんでいる。龍神なのだろうか。それとも皆神山の特殊な磁場によるものたのだろうか、急に降り出した雨といい、不思議な体験である。
【岩戸神社の内部】Photograph 2012.8.11
【岩戸神社の内部、何かが写りこんでいる】Photograph 2012.8.11

登り道の終点には広い駐車場があり、そこに車を止めた。雨は既に止んでいる。何だったのだろう。

さて、この駐車場には、あの有名な看板があるわけで、その内容は、以下のようなものである。
『世界最大最古の皆神山ピラミッド
◎皆神山の造山方法はエジプトのピラミッドのように人の労力ではなく初歩的な重力制御技法(部分的干渉波動抑圧)により、当時長野盆地が遊水湖沼(最後のウルム氷期の終末期で東、南信の氷解水よる)となっており、その岸のゴロタ石等堆積土砂石を浮遊させ、空間移動させるというダイナミックな方法でした。(従って現在でも皆神山塊だけが非常に軽く負の重力異常となっております)
◎この皆神山の盛土的山塊が自重により不均衡凝縮=ねじれ摩擦現象=起電=電流発生 といったダイナモ機能山塊となり、電磁波が生じ磁力と重力制御(反重力)により物体(電磁反発飛昇体)が垂直に離着陸するようになったのです。古文書に出てくる《天の羅魔舟(アマノカガミブネ)》等がこの飛翔体です。

謎の皆神山ピラミッド物語
◎皆神山は、古い古墳時代や弥生時代更に遡って縄文時代やエジプト・インダス・黄河・シュメール各文明よりずっと古い、今から約2〜3万年前(浅間山・焼岳ができたころ。飯縄・妙高・富士は約九万年前。)の超太古ともいうべき遠い旧石器の時代に造られました。
(人工造山=ピラミッド、ピラミッドはギリシャの語源の三角形のパンの意)
◎この皆神山を造った人間は、古事記に出てくる須佐之男命(スサノオノミコト)(自然主義的な科学技術者の集団の総称)で現代科学とは全く異質ではるかに優れた高い知的能力を持った人類でした。(旧人ネアンデルタール系)
◎では、何のために造ったかというと、墳墓ではなく地球上の各地や、宇宙空間への航行基地として造られたのです。

皆神山ピラミッドの祭神は知力・体力の神
◎超太古の宇宙航行基地である皆神山の祭神は従って高度の知的能力集団でみんな宇宙航行や宇宙基地に関する次の四神です。
○熊野出速雄命(クマノイズハヤオノミコト)
 宇宙船《天の羅摩船》等の航行の技術・管理を引き継いだ最後の集団で、北信地方の開拓祖神
○少名昆古那神(スクナヒコナノカミ)
 宇宙船で皆神山航行基地を離着した大国主命(オオクニヌシノミコト)の参謀集団
○泉津事解男神(ヨモツコトサカオノカミ)
 皆神山航行基地をはじめ…全宇宙基地を管理した集団
○速玉男神(ハヤタマオノカミ)
 地球周回軌道の人工衛生(宇宙航行の中継基地)の技術者の集団
◎このように皆神山は、神々が活躍した基地であり、宇宙船で現われたり姿を消したりしたので自然人たちは神聖な山=高天ガ原(タカマガハラ)として崇め、後世に伝えたものです。』

山田久延彦氏の「新説・古事記」に基づく記述のようであるが、一般の参拝者に対して堂々と言い切っているところが痛快である。

その横には、皆神山に伝わる民話を紹介する看板があった。こちらには、皆神山は昔から神の宿る山として信仰されており、たくさんの不思議な話が語り伝えられていると書かれている。
【皆神神社の駐車場にある看板】Photograph 2012.8.11
【皆神神社の駐車場の横にある井戸】Photograph 2012.8.11
神門を少し南に下ったところに平成18年に建てられた立派な石鳥居が立っている。本来の参道はこちらである。
神門のそばには3つの池があり、この池が『長野市指定クロサンショウウオの産卵池』と説明されている。清流に生息するサンショウウオがなぜこのような池に産卵するのか、川とはつながっていない池にサンショウウオはどこから来るのか、不思議である。またこの池は、底なし沼であるともいわれている。
 
 【クロサンショウウオの産卵池であるという看板】Photograph 2012.8.11
【皆神神社の池1】Photograph 2012.8.11
【皆神神社の池2】Photograph 2012.8.11
【皆神神社の池3】Photograph 2012.8.11
神門をくぐった右手に弁天社の祠が石の上に建っている。さらにその横には天満宮が、これも石の上に建っている。
【皆神神社の神門】Photograph 2012.8.11
【皆神神社の神門のそばにある石】Photograph 2012.8.11
【皆神神社の境内の弁天社】Photograph 2012.8.11
【皆神神社の境内の天満宮】Photograph 2012.8.11

神門から真っ直ぐ突き当たると、侍従神社(ジジュウジンジャ)があるが、本社はその右脇の道を直ぐの所に建っている熊野出速雄神社(クマノイズハヤオノジンジャ)本殿の方である。侍従神社の方が大きく立派なので、どちらが主祭神なのか間違えてしまいそうである。
【皆神神社の境内の侍従神社】Photograph 2012.8.11
【皆神神社の境内の妙義之大神、金比羅之大神、秋葉神社之大神、内山之大神、子授之大神】Photograph 2012.8.11
御由緒によると
『信州 松代 祈りと信仰の山 皆神山 熊野出速雄神社
 御鎮座地
皆神山は、長野市松代町の東南に位置し、川中島平を一望に収める絶景地である。近年新日本百景の一つに挙げられ、松代群発地震の震源地として世界的に有名になった。形状が円錐形の見事な独立山のため古来より霊山として信仰の対象となり、最近では世界最大最古のピラミッドであるといわれている。標高六七九メ〜トル、山麓の周囲は約八キロ、山頂は中の峰・東の峰・西の峰に分かれている。
 御祭神
出速雄命(イズハヤオノミコト) 伊邪那岐命(イザナギノミコト) 伊邪那美命(イザナギノミコト) 速玉男命(ハヤタマオノミコト) 豫母都事解男命(ヨモツコトサカノオノミコト)
脇座に舒明天皇(ジョメイテンノウ)、古人大兄皇子(フルヒトオオエノオウジ)
 奈良時代養老2年(718)出速雄神社を奉祀と伝えられる。中世以後修験道が盛んとなり、熊野権現を勧請、大日如来・阿弥陀如来・弥勒菩薩の三仏各峰に安置し熊野三社大権現と称した。
境内社の侍従神社に鎮まる侍従大神(ジジュウオオカミ)は、佐久の内山城主内山美濃守満久の三男下野守三郎満顕であり、十三歳にして鞍馬山に入り密教を厳修、その後各霊山を巡り、内山氏滅亡のとき皆神山に入山、大日寺和合院宥賢と称した、後に侍従天狗坊と名乗り、皆神山の修験を完成させた。
弘治2年(1556)7月14日入定、在りし御影を木像に写して侍従坊大天狗明王と祀 った。正親町天皇永録・元亀の間(約四百四十年前)と伝わる。
北は戸隠、南は皆神山と修験道で長いあいだ栄え、先達和合院は皆神山八合目からうえ を領し、聖護院(京都・本山派山伏の本山)より川中島四郡(埴科・更級・水内・高井)の年行事職を命ぜられ、更にはほぼ信濃全域の本山派山伏の支配権を得ていた。
明治初期の神仏分離令・廃藩置県により山伏は全部が還俗、一切を上知し和合院も廃す るにいたり、出速雄命と熊野の神を熊野出速雄神社、侍従坊は侍従大神と奉斎した。
 御神徳・御社殿
主祭神である出速雄命は、当地方開拓の祖神として天下の泰平と五穀豊穣をもたらす神 として崇敬される。現在の御社殿は康応元年(1389)の再建と伝えられ旧埴科郡中最古 の建造物といわれる。撞木造とする古い修験道の建築に認められる特徴が残っている。
侍従大神は「児育て・寿命・火防の神」として信仰され、この地方では子供を侍従坊の弟子にすれば無病息災に育つといわれ、子供が生れれば一度は参拝している。また、相殿には 食物をつかさどり養蚕を守護する女神大宜都比売命(おおげつひめのみこと)を配祀する。御社殿は、江戸時代後期の天保14年(1843)起工、弘化3年(1846)に竣工した
 神社名
今から約1300年前に御神明を奉祀、祈りと信仰の山として、霊験あらたかなりといわれる皆神山に鎮座する熊野出速雄神社は、「皆神神社」と尊称され、広く崇敬されている。』となっている。
HARRY山科氏が行った宮司インタビューによると、侍従神社は、熊野出速雄神社の後ろにあったが善光寺地震で崩壊し、今の位置に立て替えられたらしい。また、「熊野出速雄神社」という社名も、「出速雄神社」とするべきものを、神仏判然令で神仏が分離されたときに「熊野」が残ってしまったらしい。出速雄命は、諏訪大神の三男とされている。
【熊野出速雄神社】Photograph 2012.8.11
【熊野出速雄神社】Photograph 2012.8.11
出速雄神社に向って左手には、新しい祠が2つ建てられている。天地カゴメ之宮と諏訪大神の祠である。その横に建てられた碑文は以下のような内容である。
『天地カゴメ之宮建立由来
昭和四拾九年一月二三日、旧暦一月元旦、国常大神お立ち上りの神示あり。諏訪大神より、二月五日節分から信州神業に発てと神示を受け、二月六日大雪の聖山神社へと向う。 「皆神山へ行け、元の元の大元の大神様のお立ち上りと成りた。コトの大事の秘められし、その頂上なるの神のご出現じゃ。」と神示あり。ついで戸隠中社に於いて「この信洲、神の洲と書いて、神洲と読むことを知っているか、皆神山へ参れよ。」と神示を受け、翌二月七日積雪の皆神山に初登山をする。皆神山神前にて午前十時入神状態となる。大勢の神々参集されたなか、神業は新しい大神様地上神界天降りを出産の型で示され、戴冠式の形となり全ての神儀終りは正午、この皆神山は古代より地球上において、神界で選ばれた唯一の聖地であり、宮も又同じなり。天地カゴメ之宮は、上に元津御祖大神、また、ヒマラヤから国常立大神の元津神霊を宮の御大将と迎え、日之出大神はじめ天地八百万の神々、竜神眷族、モーゼ、キリスト・ギリシャ神話の神々に至るまで参集され、現在は伊都能売神業にあり。此度神々守護のため宮の建立を許され、ここに謹んでお受け致した次第を印す。  平成元年十月十日  天地カゴメの宮斉仕 神宮 一二三』

神宮一二三(ジングウヒフミ)さんは、立川で祈祷師をしていた方で、いわゆる神懸りを行ったようである。この出速雄神社の修復などにも尽力したようである。
出速雄命が諏訪大神の息子であるならば、ここに諏訪大神を祀ることには当然のように思うが、問題は、ガゴメの宮の方である。この「カゴメ」というのは、子供遊び歌の「かごめかごめ」に出てくる「カゴメ」のことではないかと思う、「かごめかごめ」という歌の解釈も諸説ある不思議な歌であるが、その「カゴメ」は、「籠の目」であり、籠の目が形作る六芒星を意味するという説がある。
天地カゴメ之宮建立由来碑文の上にも六芒星が彫られている。この六芒星は、タビデの星と呼ばれるユダヤ民族を象徴する印である。一方、この碑文の六芒星マークの下に、十六菊花紋があるではないか、もちろん十六菊花紋は皇室だけが使うことを許されている紋である。このガゴメの宮は、「日猶同祖論」を主張しているのだろうか。
【皆神神社の境内の天地カゴメ之宮と諏訪大神】Photograph 2012.8.11
【天地カゴメ之宮県立由来の碑】Photograph 2012.8.11
出速雄神社に参拝した後、さらにその奥に進むと少名彦命を祀る喜佐八郎社がある。ここから先にも興味深い碑文がある。
『地質学上 世界の中心山脈の 十字形せる 珍の神山 天霊の 聖地に 些しも 違はざる 尊き神山 皆神の山 出口王仁三郎』という大本が建てた碑文である。
大本について、詳しく説明する必要はないかもしれないが、幕末から明治にかけて生まれた天理教、金光教とならぶ神道系新興宗教で、出口なおの神懸り(お筆先)に始まったが、娘婿の出口王仁三郎(デクチオニサブロウ)のカリスマ性が加味されることにより、700万もの教徒を抱える一大教団になった。その後、政府からの二度の弾圧を受けて、縮小してしまった教団であるが、現在ある新興宗教のほとんどは大本の流れを汲むか、大本の教義の影響を少なからず受けているといわれている。
この大本によると、富士山が天教山で皆神山が地教山であるとされ、この皆神山は重要な聖地ということになっている。
【皆神神社の境内の喜佐八郎社(少名彦命)】Photograph 2012.8.11
【皆神神社の境内の大本の碑文1】Photograph 2012.8.11
【皆神神社の境内の大本の碑文2】Photograph 2012.8.11

この碑文の先が皆神山の頂上にあたるようだが、そこに富士浅間神社がある。この祠は、石でできており、お墓のようである。富士浅間神社は、もともと神門の横の弁天社のところにあったものを、大本がこの場所に建て替えたようである。
この富士浅間神社の裏に、石で囲まれた小さな井戸がある。底は埋まっているようだが、この穴は、皆神山内部の空洞までつながっている空気穴の役目をしているといわれている。また、周りの石には磁気異常があるともいわれているが、確認はできなかった。
不思議なのは、この井戸が、とってつけたかのように建てられた富士浅間神社によって、隠されているような印象を受けることである。なにか人目を避けなければならない理由があるのだろうか。
【皆神神社の境内の富士浅間神社への参道、この参道は真北に向っている】Photograph 2012.8.11
【皆神神社の境内の富士浅間神社】Photograph 2012.8.11
【皆神神社の境内の富士浅間神社の裏にある井戸】Photograph 2012.8.11
【皆神神社の境内の富士浅間神社の裏にある井戸】Photograph 2012.8.11
皆神山を下山して、北西麓にある大日堂に向った。大日堂は無住職となり荒廃しているが、この横に松井の泉という湧き水があり美味しい水が湧き出している。私たちが車を止めている間も、近所の人が次々と水を汲みに来ており、本当に美味しい水が湧いていることがわかる。しかし、独立しているこの小さな皆神山から、なぜ湧き出しているのかこれも不思議である。
【皆神山の北西麓にある大日堂】Photograph 2012.8.11
【松井の泉】Photograph 2012.8.11
また、今回は、探索できなかったが、皆神山の中腹には、小丸山古墳があり、大正時代には、天照大御神の墓として話題になった。この時、発掘調査されたが、固い岩盤にあたって断念したという気になる古墳もある。この古墳には誰が埋葬されているのであろうか。


さて、皆神山が修験道、仏教、神道の信仰対象となっただけでなく、今でも新興宗教の信仰対象となっているのには、理由があるはずである。この山には、何らかのパワーがあり、それが人々を引き付けているということであろう。そのパワーは、軟弱地質、重力異常、発光現象、群発地震という目に見える自然科学的な現象として現れており、その先には人工の山であるという結論が見えてくる。
つまりパワーを発揮するように設計して、山が造られているのではないかということである。現代のわれわれ自身も小規模ながら圧電素子という圧力を電気に変換するセラミック(石)を使用している。それの大規模なものを造ることができても不思議ではない。地震の時に空が光るという現象も岩盤に巨大な圧力がかかり、割れるときに発するといわれている。つまり皆神山は、この力をうまく利用してエネルギーを取り出す施設であったという推測である。
また、古事記や日本書紀をはじめ日本の古史古伝には、空を飛ぶ船の話が数多く出てくる。建御雷神の副使として葦原中国に派遣された天の鳥船(アメノトリブネ)や少彦名神(スクナヒコナ)が乗ってきた天の羅魔船(アマノカガミブネ)、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が乗ってきた天の磐船(アメノイワフネ)、武内文書では天皇が天浮船(アメノウキフネ)に乗って世界各国を巡行したとある。これらの全てを空想でかたずけて良いものであろうか、私は、忘れ去られた科学技術の記憶であると考えたほうが納得がいくのである。その場合、この皆神山こそが、人を乗せて空を飛ぶ乗り物のエネルギーを供給する施設であったというのも、あながち間違いではないと思える。

第二次世界大戦末期、日本の敗戦色が強くなってきた頃、この皆神山の地下に大本営、政府や皇居を移転する計画となり地下壕が掘られたことがあった。あいにく地盤が弱く、その計画は他の象山や舞鶴山に変更されたのだが、なぜ、この皆神山に大本営を移そうとしたのか、ひよっとしたら天皇家に、この古代の超科学に関する記録が残っていて、その技術を使って起死回生の戦局逆転を図ろうとしたのではないだろうか。


2012年8月17日  「皆神山ピラミッド」 レポート 平津豊