三輪 大神神社

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 Share (facebook)  Report 1987.7.12 平津 豊 Hiratsu Yutaka

奈良県桜井市三輪に鎮座する大神(オオミワ)神社は、大和国の一宮で大和最古の神社と言われている。延喜式祝詞の出雲国造神賀詞に「大穴持命の申し給はく、皇御孫命の静り坐さむ大倭国と申して、己命の和魂を八咫鏡に取り託けて、倭大物主櫛カ玉命と名称へて、大御和の神奈備に坐せ」とある。
miwa4.jpg (14691 バイト) 大神神社は、標高467mの三輪山そのものを御神体としているため、拝殿のみしか存在しないという変わった造りとなっている。また、変わっているのは三つ鳥居で明神鳥居の左右に脇鳥居をつけた形となっており、この大神神社とその摂社である桧原神社にしか見られないものである。三輪山は、なだらかな円錐形の美しい姿の山で、代表的な神奈備(カンナビ)の霊山である。この三輪山には多くの巨石が散乱するばかりでなく、おびただしい量の祭祀遺物が発見されている。この三輪山には摂社の狭井神社から入山することができるが、撮影は禁止で入山時間もかぎられている。
御祭神として大物主大神(オオモノヌシノカミ)、配神として大己貴神(オオナムチノカミ)、少彦名神(スクナヒコナノカミ)が祭られている。大物主大神、大己貴神は、大国主神(オオクニヌシノカミ)の別名とされており、大物主大神は大国主神の和魂(ワギミタマ)と位置づけされている。おそらく、本来は別の神であったものが国津神として統合されたものと思うのだが、その時に、この大物主を国津神のトップである大国主と同一視しなければならなかったほど大物主の力は大きかったのだろう。
oomiwa3.jpg (19784 バイト) 三輪の神は疫病除けと醸造の神とされている。醸造家が杉玉を飾る風習は日本書紀に高橋の村に住む活日が崇神天皇に神酒をささげて「この神酒はわが神酒ならず、大和なす大物主の醸みし神酒、いくひさ、いくひさ」とで歌を詠ったという由来に基づき、その杉は三輪の山の杉を表しているとされる。また、三輪の大物主も大国主と同じく蛇神である。三輪の「三」は「御」であり「己」であり「蛇」である。私も大神神社の摂社である狭井神社で岩壁を上っている大蛇の周りを数十人が取り囲み手を合わせている光景を目撃した。また、蛇の好物ということで大神神社では卵がたくさん供えられている。
これに関係して、日本書紀に三輪山の神についての物語がある。倭迹迹日襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)は大物主の神の妻となった。しかし、大物主が夜しか通ってこないので朝に姿を見せてほしいと頼んだ。大物主はこの願いを受け入れ、明日の朝に櫛箱の中に入っているが驚かぬようにといった。姫が不審に思いながらも次の朝、櫛箱を開けてみると、その中に美しい蛇がいた。姫はびっくりして泣き出した。大物主は、私に恥をかかせたのでお前も恥をかくだろうと言って、空を飛んで三輪の山に帰っていった。姫は大いに後悔し、急にしゃがみこんだ。その時に姫は、箸で陰処を突いて絶命してしまった。倭迹迹日襲姫の墓を箸墓といい、昼は人が作り夜は神が作ったとされる。このモモソヒメこそあの卑弥呼で箸墓こそ卑弥呼の墓ではないかと唱える学者もいる。
さらに古事記には、三輪の神に関する別の話がある。悪い病気がはやり祟神天皇が嘆いていると夢の中に大物主が現れ、今はやっている病気は私のしわざである。意富多多泥古(オホタタネコ)に命じて私を祭らせたら祟りを静めよう、と言った。天皇は次の朝、さっそくオホタタネコなる人物を探し出し、このオホタタネコを神主として御諸山に美和のオオモノヌシを祭ると、国の中が穏やかになったと言う。ここでも、このオオモノヌシがただものではないことが示されている。なんと、天皇に祟る神で、天皇に命令しているのである。

では、オホタタネコとは何者か、古事記では河内の美努村(ミヌノムラ)、日本書紀では和泉の陶邑(スエノムラ)の出身とされており、いずれも渡来系の陶器製作地である。おそらく陶人(スエビト)と呼ばれた一族ではないかと思う。そして大物主の神が陶津耳命(スエツミミノミコト)の娘の活玉依毘売(イクタマヨリビメ)に生ませた櫛御方命(クシミナガタノミコト)の子供の飯肩巣見命(イヒガタスミノミコト)のさらに子供の建甕槌命(タケミカヅチノミコト)の子供がオホタタネコとされている。

 

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このイクタマヨリビメに関して古事記にはさらに驚くべき話がある。イクタマヨリ姫は毎夜かよってくる男と一緒にいるだけで懐妊したと言う。両親はその男が何者かを調べるために、イクタマヨリ姫に男の着物の裾に麻糸を通した針を刺すように命じた。姫は言いつけどおりに実行し、あくる朝その糸を見ると部屋の中には三勾(ミワ)すなわち三巻だけの糸が残っており、糸は戸の鈎穴をとおって表に出、美和山の神社まで続いていた。この三勾が三輪の語源としている。
この話が、モモソヒメと同様の形をしていることは明らかである。つまり、オオモノヌシは、夜は人の形をして、昼は変身し、自分の出生を隠して女に子供を産ませる異形の神であるという。このことは、現在世界各地で起こっている宇宙人による誘拐と人体実験を思い浮かべてしまう。このオオモノヌシなる神が宇宙人であり、その宇宙人の異形さを当時の人は蛇にたとえた。そしてその能力に恐れおののくと同時に、当時の支配者である祟神天皇は利用した。この宇宙人の能力があの卑弥呼にも関係していた。なとど勝手な推論をしてしまう。また、この一連の話の中に「櫛」「箸」「針」が幾度も現れている。これはなぜか、いずれも先端が尖った棒を示している。さきの宇宙人説で考えれば、これはアンテナを象徴したものである。などどいうことになるのだが、考え過ぎか。

いずれにせよ、この大神神社が、今も深い信仰を集めていることは確かである。私事ではあるが、私は、天皇にも祟ると言うこの神のパワーに惚れこんで、1988年に、結婚式をこの大神神社で挙げた。その結婚式の打ち合わせの時、記念写真をどこで撮るのかと禰宜に聞くと、その三輪の神杉と呼ばれる大杉の下で撮ると言う、もちろんそこには天井はなく青空の下である。私は、雨天の場合はどこで撮るのかと続けると、その禰宜は自信たっぷりにこう言い放った。「三輪の大神の御前での結婚式に雨は降りません。」と、もちろん結婚式の当日が晴天であったことは言うまでもない。

(Photograph 1987.7.12)