熊野出速雄神社

クマノイズハヤオジンジャ
   
長野県長野市松代町豊栄5464-2
御祭神 
出速雄命(イズハヤオノミコト)
伊邪那岐命(イザナギノミコト)
伊邪那美命(イザナギノミコト)
速玉男命(ハヤタマオノミコト)
豫母都事解男命(ヨモツコトサカノオノミコト)
脇座に舒明天皇(ジョメイテンノウ)、古人大兄皇子(フルヒトオオエノオウジ
         

長野県松代の皆神山の神社
出速雄命は、諏訪大神の三男とされる。


熊野出速雄神社
(Photograph 2012.8.11)

探索レポート 皆神山ピラミッド


御由緒
信州 松代 祈りと信仰の山 皆神山 熊野出速雄神社
御鎮座地
皆神山は、長野市松代町の東南に位置し、川中島平を一望に収める絶景地である。近年新日本百景の一つに挙げられ、松代群発地震の震源地として世界的に有名になった。形状が円錐形の見事な独立山のため古来より霊山として信仰の対象となり、最近では世界最大最古のピラミッドであるといわれている。標高六七九メ〜トル、山麓の周囲は約八キロ、山頂は中の峰・東の峰・西の峰に分かれている。
御祭神 出速雄命(イズハヤオノミコト) 伊邪那岐命(イザナギノミコト) 伊邪那美命(イザナギノミコト) 速玉男命(ハヤタマオノミコト) 豫母都事解男命(ヨモツコトサカノオノミコト)
脇座に舒明天皇(ジョメイテンノウ)、古人大兄皇子(フルヒトオオエノオウジ)
奈良時代養老2年(718)出速雄神社を奉祀と伝えられる。中世以後修験道が盛んとなり、熊野権現を勧請、大日如来・阿弥陀如来・弥勒菩薩の三仏各峰に安置し熊野三社大権現と称した。
境内社の侍従神社に鎮まる侍従大神(ジジュウオオカミ)は、佐久の内山城主内山美濃守満久の三男下野守三郎満顕であり、十三歳にして鞍馬山に入り密教を厳修、その後各霊山を巡り、内山氏滅亡のとき皆神山に入山、大日寺和合院宥賢と称した、後に侍従天狗坊と名乗り、皆神山の修験を完成させた。
弘治2年(1556)7月14日入定、在りし御影を木像に写して侍従坊大天狗明王と祀 った。正親町天皇永録・元亀の間(約四百四十年前)と伝わる。
北は戸隠、南は皆神山と修験道で長いあいだ栄え、先達和合院は皆神山八合目からうえ を領し、聖護院(京都・本山派山伏の本山)より川中島四郡(埴科・更級・水内・高井)の年行事職を命ぜられ、更にはほぼ信濃全域の本山派山伏の支配権を得ていた。
明治初期の神仏分離令・廃藩置県により山伏は全部が還俗、一切を上知し和合院も廃す るにいたり、出速雄命と熊野の神を熊野出速雄神社、侍従坊は侍従大神と奉斎した。
御神徳・御社殿
主祭神である出速雄命は、当地方開拓の祖神として天下の泰平と五穀豊穣をもたらす神 として崇敬される。現在の御社殿は康応元年(1389)の再建と伝えられ旧埴科郡中最古 の建造物といわれる。撞木造とする古い修験道の建築に認められる特徴が残っている。
侍従大神は「児育て・寿命・火防の神」として信仰され、この地方では子供を侍従坊の弟子にすれば無病息災に育つといわれ、子供が生れれば一度は参拝している。また、相殿には 食物をつかさどり養蚕を守護する女神大宜都比売命(おおげつひめのみこと)を配祀する。御社殿は、江戸時代後期の天保14年(1843)起工、弘化3年(1846)に竣工した
神社名
今から約1300年前に御神明を奉祀、祈りと信仰の山として、霊験あらたかなりといわれる皆神山に鎮座する熊野出速雄神社は、「皆神神社」と尊称され、広く崇敬されている。




(Photograph 2012.8.11)



皆神神社の境内の弁天社
(Photograph 2012.8.11)


皆神神社の境内の天満宮
(Photograph 2012.8.11)


皆神神社の境内の侍従神社
(Photograph 2012.8.11)


皆神神社の境内の天地カゴメ之宮と諏訪大神
(Photograph 2012.8.11)


皆神神社の境内の喜佐八郎社(少名彦命)
(Photograph 2012.8.11)


皆神神社の境内の富士浅間神社
(Photograph 2012.8.11)



(Stamp 2012.8.11)